
人口1000人ほどの小さな町、サウスダコタ州ウェブスターで生まれる。
実家は酪農を生業とし、200〜300頭の牛を飼ってミルクを生産していた。家にはテレビすらなく、レスナーは小さい頃から家業の手伝いをして育った。
物静かなメガネっ子だった。

少年時代は毎朝夜明け頃に起床し、農場へ出かけ120頭余りの牛の乳を搾った。
高校生になる頃には牛の出産も手伝うようになった。
また、高校のレスリングコーチの所有する養豚場の肥溜めで作業を手伝う事もあった。


わずか5歳の頃にアマレスを始める。この頃既に相手をシバクことの喜びを覚え、オリジナルのベアハグ「ブロック・ロック」を編み出していた。
高校時代はレスリング部とフットボール部に所属。
この頃は91キロのひょろ長い体型だったが、既にレスリングでは無類の強さを誇っていた。
高校卒業の後、ノースダコタ州ビスマルクの短大で寮生活を送る。この頃から筋肉が増え始め、現在のような隆々とした体型が出来上がっていく。
NJCAA(全米短大)チャンピオンにまで上り詰めるが、予算カットによりビスマルク短大レスリング部は消滅。同短大在学中の戦績は56勝3敗。
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もはやレスナーに選択権は無く、レスリング奨学金によりライバル校のミネソタ大学に編入。(1998年)
全米トップクラスの強さを誇るミネソタ大レスリング部の130人もの部員の中で抜群の強さを発揮した。
ミネソタ大はシェルトン・ベンジャミンと出会った場所でもある。
レスナーが編入した年、ベンジャミンは最上級生だった。
2人はルームメイトとして同じ部屋で生活した。
NCAA(全米大学運動連盟)に属しているミネソタ大でレスナーが目指したものは唯一つ、NCAAチャンピオンの座だけだった。
1999年には決勝まで進むものの惜しくも敗れ2位に終わる。
祝福を受けるチャンピオンを横目に空しく涙をこぼすレスナーがいた。
この頃、現在のフィアンセ、ニコールと出会う。
ニコールはブロックの試合に必ず足を運んだ。
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学生最後の年、2000年に念願の NCAAアマレスヘビー級チャンピオン(注)
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[NCAA] NCAA=全米大学選手権。ディビジョン1,2,3に別れ、レスナーはその中で最もレベルの高いディビジョン1で優勝した。![]() |


NCAA優勝ののち2つのプロフットボール団体からの勧誘を受ける。
断る。


1998年はオリンピック金メダリスト、カート・アングルがWWEデビューした年であり、WWEがレスナーに接触してきた年だ。
この頃初めてレスナーはRAWを見た。
レスナーのレスリングコーチがWWEエージェントのジェラルド・ブリスコと昔ミネソタ大レスリング部のルームメイトだったこともあり、WWEはレスナーのアマレスの実績に非常に興味を持っていた。
WWEは大学を中退して契約するよう持ちかけたが、レスナーはきちんと大学生活を全うする事を望んだ。
NCAAチャンピオンの悲願を達成したレスナーは、晴れてミネソタ大を卒業しすぐさまWWEと契約との交渉に入った。
実はレスナーはWWEに誘われるまで一度もプロレスを見た事が無かったが、今思えばそれが逆によい結果をもたらしたと言う。


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プロレスラーへの第一歩として、レスナーはまずミネソタの”ブラッド・レイガンズ道場”へ入門し、有意義な4ヶ月を過ごす。
ロードウォーリアーズらも通った同道場では毎日のように新日本プロレスのビデオを見せられ、道場主のブラッドが細かなムーブの解説をした。そのときの経験は現在のレスナーの大切なバックボーンになっていると言う。
また同道場では”Mr.Perfect”故カート・ヘニングによる指導も受けることもあった。


そんな折に道場へ新日本プロレスがコンタクトをしてくる。
そしてアントニオ・猪木から直々に「日本に来ないか」と誘われる。実はこの時2人は90分ほどの軽いスパーリングで肌を合わせていた。イノキ対レスナーが実現していたのだ。
レスナーは老いを全く感じさせない猪木の体つきに感嘆するが、結局はWWEを選択した。


WWEと契約してからは約1年半、ファーム団体のOVW(ohio valley wrestling)で経験を積む。
同期にはリコ、ランディ・オートン、ジョン・シナ、シェルトン・ベンジャミン、チャーリー・ハース、バティスタ、ヴィクトリアなど。
ベンジャミンとはタッグチーム(The Minnesota Stretching Crew)を結成し、2001/2/13にOVWタッグタイトルを奪取した。
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この時期日本のプロレスビデオを研究して現在のフィニッシャー、F5を編み出したという。
マイクアピールやコントが苦手だったためフロントはプッシュを躊躇したが、一年のトレーニング後なんとかWWEのダークマッチに出始める。(2001年)
一時期 シューティングスタープレス(注)
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[シューティングスタープレス] OVW時代、ベンジャミンが失敗したのを見て、見よう見まねでトライしたら成功してしまったという。 |
ちなみにOVW時代はバティスタの方が格上扱いだったようだ。


レッスルマニア18の翌日のロウでテレビデビュー。
実はレッスルマニア18にも来ていて、トロントの町やバックステージをうろついていた。
マイクアピール能力が基準に達していなかった為、デビュー後数ヶ月はマネージャー役のポール・ヘイマンが”口”を演じた。
デビュー2ヶ月にして初めて発した言葉は「黙れポール!」である。


WWEデビューから丁度二年後のレッスルマニア20。この大会での対ゴールドバーグ戦を最後に、ブロック・レスナーはWWEを突如退団。
退団の主な理由としては、一年の殆どを移動と試合に費やすWWEでの日々への疲弊、NFL(アメリカンフットボール最高峰のリーグ)参戦への興味、などが挙げられている。
「レスナーはNFLで失敗し、いつかWWEに戻ってくる。」
それが大方のファンと関係者の予想、もしくは願望のようだ。
レスナーというトップスターを欠いた今、スマックダウンは興行的に苦しい日々を送っているのが現状だ。


